傷を愛せるか
「傷を愛せるか」という本を読んだ。
職場近くのTSUTAYAで、装画とタイトルが気になっていた本だ。
中身の情報を一切知らずに、ただただタイトルに惹かれて買った。
精神科医のエッセイ集で、著者がみた映画や、旅先での出来事から考えたことを中心に、カジュアルで読みやすい文で書かれている。
著者の所感が淡々と述べられているだけなので説法めいたこともなく、押し付けがましくない。
それでいて新たな視点を提示する文章が散りばめられており、全編通して読んでいて心地が良かった。
タイトルである「傷を愛せるか」
ここに強く惹かれたのは、自分が抱えてきた傷に対して「愛する」というアプローチを考えたことがなかったからだ。
生きてきた中でついた傷を、他の大勢の人々と同じく自分も持っていて、この数年間その傷との向き合い方を考え続けてきた。
認める
忘れる
癒やす
受け容れる
といったアプローチを何年もかけて繰り返してきた。
正直考え尽くしたつもりだったし、あがいたところで傷は傷として存在するのだという諦めの気持ちでいた。
そこに「愛せるか」という新たな問いを投げかけられた。
'愛する'とはただ受け入れることではないだろうし、癒やすとも違う。大切にし、尊重すること。守ること、好ましく思うこと、慈しむこと、
いろいろ思い浮かぶけれど、明確な答えはすぐには出せない。
ただ、ずっと繰り返し続けた傷との向き合い方に新しい選択肢が生まれたことはささやかな希望になっている。
今年は例年に比べてたくさん本を読んだが、この本がベストセラーかな。
長く手元において置きたい一冊になると思う。
じぶんの形
5/6
車で1時間半と少し。大好きな場所へ行ってきた。
青々とした海が広く見渡せる、心底気持ちいい場所。
風の心地よさを感じ、波の音を聞いて、出来るだけからだと心の容量を空けるようにした。
目をしばらく閉じた後もう一度開いてみると、さっきまで見ていた海の青がより鮮やかに感じられて、とても美しかった。
ずっとここに来たかった。実現できてよかった。
家族としばらく過ごして、友人にも会った。
久々の家族との時間は心地よく、たくさん喋った。
存分に子供という立場の自分を堪能した。いまだに甘えさせていただいてありがたい。
▼人との時間を過ごして、考えたこと。
私は人と関わった瞬間に、その人に合わせて多少なりとも形を変える。
対人用の私に変化する。
親しい間柄であれば変化する形が大体決まっているから、ほぼ無意識に変わることができる。
あまり親密でない相手だと、どんな形が適切か計りながら、変化する。
一人の時間を長く過ごしていたから、今回はその変化に敏感になり、改めて意識した。
昔の手帳を読み返していたら、
『「時々自分がそこにいないような感覚になる」という私に対して、当時の恋人が
「(私)は本当の自分で話していないからだよ」と言った。』というようなニュアンスの記述があった。
まぁまぁその指摘は的を得ていると思う。そのころの私はほとんどを恋人の家で過ごしていたし、それ以外の時間はサークルやバイトで忙しかった。
「ただ自然な形の自分」でいる時間が極端に少なかったのだと思う。
常に「対人にために何かしら形を変えた自分」であった。それに疲れて訳が分からなくなっていたのだろう。
唯一、卒業制作の絵を描いている時だけは、ひたすらに己の「個」と向き合っている時間だったように思う。
東京で一人暮らしを始めてから、一人の時間が増えたことで、自ずから「ただ自然な形の自分」と向き合う時間も増えた。
誰にも干渉されない心地よさに今まで割と満足しており、自分がそこにいないような感覚とはしばらくご無沙汰している。
この時間は、自分の人生において必要だった。
ただ、気がついたこともある。
一人で居続けることだけでも、自分の形は見えなくなる。
外の世界との繋がりを断つと、自分の形も分からなくなる。ある意味当たり前かもしれない。
コロナで人と触れ合う機会が少なくなった今、それを感じている。
自分の形は流動的。たまり続けているのも気持ちが悪いし、
内ばかりに眼を向けていても、輪郭が分からなくなる。
何かしらの形で自己を誰かに発信し続けないと、自分の形を見失うのかもしれない。
自分がインスタグラムに絵をあげ続けている行為は、
誰にも干渉されない自己を誰かに見て欲しいという気持ちから来ているのかもしれない。
自分が作品を作っている時、自分が作り出したものだけは
誰にも干渉されない自己だと言える。
しかしその作品を生み出す元の刺激は外の世界から得ている。
私はあくまでフィルターである。
尻切れとんぼだけど、東京へ戻る新幹線の中でそんなことを考えていた。
2014.7.15
『私は私のことを愛することは下手だけど、
私の絵はいつも愛していたいと思うのです。
筆跡の一つ一つに、その時の想いがこめられて
キャンパスの上に残っている。
そんな自分の生きた後を、たまらなく愛しく思うのです。
今現在の瞬間の私は頼りなくて、薄っぺらだけど、
この絵の具の重なりの中に、
今までの私が確かに残っているのです。』
2014.7.15 手帳より抜粋
過去
自分の備忘録としての日記。文章めちゃくちゃ。
家の片付けをした。
昔の手帳やスケッチブックなど、なかなか捨てられなかったものにまで手をつけた。
大学生の頃の手帳が出てきた。書いていることが恥ずかしすぎて読み飛ばしていたが、今回、もう捨ててしまおうかと思い内容に目を落としてみた。
ほとんどが彼氏とサークルとバイトの話。楽しかったこと、出かけたこと、喧嘩したこと、思ったこと、言えなかったことなど、生々しく描かれていた。幸せな時と苦しい時の差が激しく、暇ゆえに悩み事ばかりに目を向けており、真面目に相手に向き合おうとしていた。苦しいことばかり記憶として定着していたが、確かに幸せな時もあったのだなぁ。本当はきっと、そんなに嫌な大学生活じゃなかった。思い出したくなかっただけだった。
今でも時々陥る、過去を許せない感情に対して、一つの答えが出たように思った。
過去のことを思い出す時、相手を許せないのではなく、過去の自分の未熟さゆえの言動や物の考え方、行いを許せなかった。恥ずかしくて情けなくてやり直したいと思い、自罰感情にとらわれることが多々あった。
今回手帳を読み返して、過去の自分のことも許していいと思った。
うまくいかなかったけど、こんなにも相手と真面目に向き合ってた。
自分の心を守りながら、相手とやっていくためにどうすればいいのか、いつも真剣に考え行動していた。許していい。恥ずべきことはない。本当にバカだったけど、バカなりに逃げずに頑張っていた。それゆえに精神をぶっ壊していったんだけどさ。ぶっ壊れた精神で何を考えてもまともな答えは出ないんだけど、そのことを自分でも気が付かなかったね。
過去に思い悩む時間は最近では随分減ってきて、もう殆どないけれど、いよいよ本格的に捨てていいなと思った。もう充分自分の身体の中に浸透して、肥やしになってる。
もっと身軽になりたいな。今や未来のことを考える時間に充てよう。
あと、大学の友人や後輩たちからもらったコメントや手紙を読んだ。
明るい、優しい、笑顔、気が遣えるなど、たくさんの言葉をもらっていた。
大学の子たちとの関わりは辛かった部分もあったけど、自分が周りを明るくする人間としての役目を負えたことは誇らしく思うし、辛くなかった。別に作り笑いじゃなかったし、嘘もついてなかった。それで周りが楽しい気分になるなら、少しぐらい負荷がかかってもいいとは本気で思っていた。自分は人に与えていたし、同時に人からもたくさん与えられていた。支えてもらっていた。自分のことを受け入れてくれていた大学時代の人たちに対しても、感謝の気持ちを持っていたい。
大学時代の自分を闇に葬り去ろうとしていたけれど、その時代も自分の過程の一つとして受け入れてあげようと思った。辛かった記憶だけではなく、楽しかったことも蓋をせず思いだせるように。まぁ写真は捨てたけど。
これからもっと成熟した人間になりたい。
今そばにいる人や、過去に私を育ててくれた人達への感謝を忘れず、自分の人生の目的に向かって生きていきたい。幸福を追求したい。自分のために生きたい。
花束
ゴールデンウィーク2日目
朝晴れていたから洗濯物を干したのに、空模様が不安定で結局土砂降りにさらされてしまった。晴れたり曇ったり土砂降りだったり、変な日。
友達の個展に行ってきた。
彼女は学生時代からの仲の良い友人でもあり、私は彼女の絵のファンだ。
美しい色彩や繊細な筆致が最初に目に入り、その技術にも見惚れるのだけれど、その中に描かれる人物(少女)達に包み込まれるような暖かさや静かな意志を感じるところが特に好きだ。彼女が創作活動を続けているのをみると、自分も描き続けようという気持ちになる。
お祝いの花束をプレゼントした。お祝いと称しているけれど、彼女の絵のイメージに合った花束を私が見てみたかったという気持ちも大きい。こういう機会があって良かった。作ってもらった花束はとてもイメージに合っていて嬉しかった。淡い色彩でまとめられていて、健気で強いナズナが入っているところも好き。お花屋さんありがとう。とても気に入っている。
帰りに焼き菓子と紅茶、ドラッグストアで安いマニュキュアをいくつか買った。
爪の先で遊ぼう。
不安定な気候と歩き疲れで一時気分が落ちていたけれど、お風呂に浸かってご飯を食べたら元気が出てきた。ゆっくりハーブティーでも飲んで、本を読んで寝よう。
日日是好日
GWが始まった。
後半の日程で2日休みをとり、9連休にした。
会社の人はほとんど休みを取っていないけれど、こんな時ぐらい取ればいいのにな。
私は一回会社から離れたいから、しっかりお暇をいただく。
おとといは全然眠れなくて、数年ぶりに徹夜をした。
朝4時半に寝るのを諦めて、近所の池まで散歩をした。
畳がボロボロだったので取り替えた。い草の匂いが気持ちいい。
4年前にここに来た時のことを思い出す。
引き続き眠くならなかったので、ぬいの服を作り始める。
裁縫は楽しい。型紙通りに黙々と進めれば、ある程度のものは完成する。
余計なことを考えず手元に集中できるところがいい。
同じ創作でも、絵を描く行為とは全然違う。
ある程度のものは完成する、、、と言いつつ、大失敗してボツになった上ミシンのボビンケースが壊れた。古いミシンなので、パーツがなかったらもう使えない、と思って焦ったが、
ユザワヤに電話をしてみたら置いているようで安心した。おばあちゃんから(勝手に)譲り受けたミシンなので、大事に使いたい。
調子に乗っていろんな道具を買ってしまったので、ぬい服職人として頑張る。
帰りの電車で丸ちゃんが昔読んでいたらしい、「求めない」を読んだ。
今の丸ちゃんがこういう思想を持っているかどうかは定かではないけれど、内容を読んでいると、驚きよりしっくりくる感情の方が多かった。丸ちゃんがインタビューでよく話している「求められていることに答えてゆく」という姿勢の背景に、「求めない」の思想が反映されているのではないかと思った。
そもそもジャニーズアイドルは”求められていることに答える”というジャニーさんイズムを他のタレントより持っているように思うけれど、その話は長くなるのでまた今度。
■
手軽に更新できる日記サイトが欲しい。
昔アメブロでやってたみたいな。
本当は毎日日記を書き残したいんだけど、なかなか習慣にならない。
先日友達が自分のNoteを教えてくれた。
私は人の日記を読むのが好きだから、教えてくれて嬉しかった。
普段遊んでいる時にわざわざ話題に出さないような、その人の思考がわかるから良い。
相手のことをもっと知ることができる。
自分の文章を人に読んでもらうことも好き。
私のこともっと知って欲しいと思う。
知人と繋がっているTwitterはすっかり閉じてしまったけど、インスタで絵は更新している。
特に大学の知人には、生きているかどうかさえわからない感じになりたいと思っていた。
そういう気持ちと反対に、直接的にではないにしろ、まだ知人たちに私のことを知って欲しいという気持ちが残ってるんだなきっと。期待している。