NGC598

まいにちの記録

スピカ

昨日は大学時代の後輩と飲みに出かけた。
というか、先日会った好きだった人のことを誰かに話さないとどんどんのめり込んでしまいそうで、適切に話を聞いて笑い飛ばしてくれる彼女に助けを求めた。私が二十歳でおかしくなっていく姿を目の前で見ており、酔って泣いたり家に転がり込んだり、散々お世話になってきた子。

相手の名前を言った瞬間に、「焼けぼっくいに火だね!」と笑ってくれた。
適切な表現に笑ってしまった。点かなくてもいいよ。
背中を押すわけでもなく不毛な恋を止めるわけでもないその態度に救われて、調子に乗って飲みすぎた。

人にぶつけて初めて自分の形がわかるもんだと、この1週間で気がついている。
物怖じせず言葉を投げ返してもらえると、痛かったり暖かかったり、自分の嘘に気が付いたりして、心に跳ね返ってくる。人の体温を言葉から感じた1週間だった。

 

好きだった人のことは、毎日ぼんやり考えている。あの日のことはあまり思い出しすぎると夢か妄想になりそうなので、あまり具体的に思い出そうとしていない。それでも、車に乗った時の窓から入る風が心地よかったな、とか、相手がご飯を食べる前にいただきますと小さく手を合わせていたことなんかを、ふと思いだす。

なんとなく、ドラマ カルテットのことを思い出す。(私は本当にこのドラマが好きだな)
あの物語は改めて、片思いの美しさを、夢の世界を描いていたドラマだったなと思う。
ドラマで「居なくなるってことは、居ないってことがずっと続くことです」と、「行った旅行も思い出になるけど、行かなかった旅行も思い出になるじゃないですか」というセリフがあるんだけど、その両方のセリフを、今の自分で噛み砕く。私の日常に相手は居ないし、これからも居ない日々が続くんだけれど、それでもしばらくは、私の日常に相手の存在が彩りを与えるのだと思う。心に残る限り。

私があげた調味料は使ってくれているかな。どんな料理に使われたかな。美味しいと思ってくれたかな。相手の日常にも、私のことを思い出す隙間が少しでも残っていますように。祈るくらいは許して欲しい。

 

こんなにふわふわしたことばかり言って片思いの夢に片足を突っ込んでいるけれど、後輩と飲んだ夜に迎えにきた後輩の彼氏が、その子にかける優しい声のことが結構頭に残っていて、私が欲しいのはこれだなぁと思った。恋人が交際相手を呼ぶ時の優しい声のトーンってあるよね。私が今望むのはこれだなぁ。望んで手に入るものでもないから、わたしはこのままで居るしかないんだけど。

 

豊かだな、と思う。色々なものが欲しくて、望んでいて、夢のような1日も過ごせて、昔の苦しかったことも回収されていく。当時は相当痛くて苦しい経験だったけれど、こんなに好きな人に出会えた人生を、豊かで幸せだと思う。こういう日々が待っているから、まだ生きていこうと思えるし、今はすごく楽しい。

未来にもきっとキラキラ光る瞬間が待っているのだと信じられる。
そういう日々を過ごしております。