NGC598

まいにちの記録

「あなたにとって、愛とは?」の答えを優しさから考える。

「あなたにとって、愛とは?」という質問を受けた。

大好きなアイドルから、愛とは?って質問来ることある?いやない(反語)

関ジャニ∞丸山隆平さんのことである。いつも通りお昼の楽しみとして気軽に日記を開いたら、割と壮大な質問を投げかけられていて驚いた。

 

愛とは?ではないけれど、最近「優しさとは?」という問いを自分の中でよく立てていたので、この機会に、自分の解釈について真面目に文章に表そうと思う。

優しさという切り口から、愛について考える。

 

優しさとは、「相手がより心地良く生きられる未来のために行動すること」だと思う。(ちょっと壮大だけど)優しさの方法には種類があって、例えば相手が間違った道に進もうとしている時に、相手のことを想って無理にでも引き止めるのは優しさ。でも「相手が間違った道に進んでいる」という考えにそもそも自分の主観が混じるから(法律違反でもない限り)、相手の意思を尊重して見守る、のも優しさだ。もし相手が失敗して悲しんでいたら、柔らかい毛布になるのも優しさの一つだ。相手に踏み込む優しさと、踏み込まない優しさ。

どの優しさをとっても、見据えるのは相手の幸福な未来でなければならない。引き止めて「間違えなくて良かったね」という結果に導くことも、引き止めずに相手が失敗したとして、「そうか。じゃあ次は違うやり方をしたらいいかもね」というのも、どちらも現時点より、相手は一歩幸福に近づいている。(端的に幸福という言葉を使っているけれど、「相手にとってより心地の良い状態」のことを指す。)

愛についても、優しさと同じ解釈を当てはめたい。相手の幸福を見据え、相手がより心地良く生きられる未来のために行動すること。

 

ちなみに私は関ジャニ∞を好きになって初めて、優しさのあり方は色々あるんだな、ということをはっきり認識した。村上信五と、横山裕と、丸山隆平と、安田章大と、大倉忠義の「優しさ」のあり方は全員違う。でもみんな優しいんだよね。前々から自分の優しさのあり方に少し悩んでいたのだけれど、色々な種類があって良いのだと、受け入れることができた。私が感じているそれぞれの優しさの種類については細かく書かないけれど、私自身の優しさのあり方は、結構丸ちゃんと似てるところがあるかもしれないと、勝手に思っている。

 

踏み込まれる優しさを好む人も居るし、踏み込まれない優しさを好む人も居るよね。場合にもよるし、100か0の話ではないけれど。やり方が合わないと、すれ違ったりお互い苦しい思いをしたりする。この点でも、優しさと愛は似ていると思う。

では優しさと愛の違いは何か。

相手の幸福を願い行動することが「優しさ」であれば、それを継続することが愛なのかな、と思う。一辺倒ではいけない。自分のやり方を押し付けてはいけない。愛とは、相手と自分の間に起こす優しさのあり方を擦り合わせていく行為なのかもしれない。

相手にとって最良を模索し続けること。

 

私は踏み込まない・見守る愛を基本的に好んでいるんだけど、それがよく表されている漫画や音楽がいくつかある。プリンセスメゾン(漫画/ドラマ)には踏み込まない愛を持っている人がよく出てくる。相手を見守り尊重する愛の形。好き。カルテット(ドラマ)もそう。相手の心に土足で踏みこむことなく周りから柔らかく包む愛。

あと、つい最近関ジャムのセッションで演っていた大橋トリオの「honey」。セッション以降、とても好きになってよく聴いている。「君らしく君のままで笑って傍にいて」っていう部分が好きなの。自分のままで尊重された上で、傍にいて。っていってくれるの、この上なく嬉しい。これも、相手の姿を受け入れて尊重する愛の形だと思っています。この曲について書くと話が少しずれる気がするので、ここでは止めておきます。

 

まとめると、

・優しさとは相手がより心地良く生きられる未来のために行動すること

・愛とは優しさのあり方を相手と擦り合わせて模索し続けること

 

現時点での私の答えはこれかな、と思っています。

書き出したおかげで自分の中で優しさと愛についての整理が少しついた。

書き終わってから気がついたけれど、自己愛とかも含めるともっと「愛」は広義だね。

まあ良いか。優しさを切り口にした、相手ありきの愛の解釈でした。

 

相手にとって最適な優しさを模索し続けられる人でありたいです。