NGC598

まいにちの記録

正夢

スピッツの、「正夢」みたいな1日だった。
会った二日後の朝にふと頭に浮かんだ。
人生で何回目かの「あぁ今日まで生きてきて良かったな。」と思える日だった。

 

「なんか雰囲気変わったね。」と言われた瞬間、よっしゃと思った。大人っぽい服を選び、髪を巻いて結んで香水をつけた。「着いたよ」とLINEをする直前まで、駅のトイレで前髪を気にしていた。相手が発する私の名前が嬉しくて、体温が上がった。


その相手は、二十歳の時に好きだった人だ。好きになりすぎて自分をコントロールできなくなって、その苦しみに耐えられず飛行機に乗って、わざわざ「もう会わない」と宣言してきた相手だ(付き合ってもないのに)本当に馬鹿だ。自分でもそう思う。

いろんな偶然の積み重ねがあり、うっかり会えることになってしまった。会う前は正直気が重かった。平常心で素直に向き合おうとあれだけ心に誓っていたのに、車に乗る瞬間にはもう足が5センチ浮いているような気分だった。助手席から隣を見ると、8年前と同じピアスを着けていることにすぐ気がついた。

 

車で曲を流しながら目的地へ向かう。相手はずっと音楽を続けていて、最近気に入っている曲の話をしてくれた。カーステレオから流れてくる曲について、この曲はうんぬん…と楽しそうに語っている姿が本当に愛おしくて、ずっと相手の話ばかり聞いていた。

最近楽器買った?と聞くと少し照れながらギターが増えたと言っていた。その話に笑いなから、好きだなと思った。相手の作った曲を聞きたかった。

目的地に着く。事前に用意していたお土産をここで渡した。悩みに悩んで、ちょっと珍しい調味料を渡した。相手とはこの8年数えるほどしか会っていないけれど、多分凝った料理にハマる人だと思ったから。そして調味料なら、使うたびに自分のことを思い出してもらえると思った。

これは小さな策略です。結果はヒット。どうやら調味料集めにハマっているらしく、喜んでもらえた。しめしめ。使うたびに私のことを思い出しなよ、って思った。

観光地で写真を撮ってもらった。写真の中の私は最高の笑顔をしていた。私も相手を撮った。彼がポーズを取る直前に、少し早めにシャッターを押した。そこには相手の自然な笑顔が写っていて、これが一番いい写真だった。後日LINEのアルバムに写真を共有したけれど、隠し撮りのこの一枚はアップしなかった。

車内でも観光地でも、ほぼ相手主導で話していた。私はオタクな人が好きなんだけれど、彼はまさにそれで、自分の好きなものの話を次々としてくれる。好きな食べ物、飲み物、最近ハマっているもの、私はどんどんそれを引き出したくて、知りたくて、ひたすら色々な相槌をうっていた。

自分はオタクの人が好きなのか、それとも相手のことが好きだからオタクの部分を愛おしいと思うのかよくわからなくなったけれど、好きなものの話を楽しそうにしている姿をずっとみていたかった。相手ばっかり話していたけど、彼は楽しかったかな。そこは気になってしまった。

 

そして本日のハイライト。
相手が、最近心に響いた曲の話をしてくれた。そのことがあまりにも嬉しくて、今でも思い出すと泣きそうになってしまう。

以前、仲の良い会社の後輩が、幼い頃からの「宝物BOX」を見せてくれたことがあった。そこには小さい頃好きだったアニメのシールや、旅先で買ったオブジェなどが入っていた。それを見せてもらった時に、この子は大事なものを私に晒してくれるんだ、と嬉しくなった。その時と同じ感覚で、本当に大事な心を見せてもらった気がした。

相手にとってはなんでもないことだったかも知れないけれど、私にとって、好きな曲の話を人に伝えるのにはなかなか勇気がいる。それを好きな理由が、自分のナイーブな一面に近ければ近いほど。人に伝えて上手く届かなかった時にものすごく傷ついてしまうから。それなのに相手は、心の柔らかい部分をあまりにも何でもないように差し出すから、戸惑ってしまった。絶対に傷つけまいと大事に返事をした。

私も今自分が好きな曲の話をしようとしたけれど、相手が気になりそうなオシャレな曲を一生懸命頭の中で探してしまった。本当は自分が一番気に入っている曲について素直に話したかった。見栄っ張りで好かれたい自分が邪魔をしてきて自己嫌悪。今更話したかったことがたくさん出てくる。

 

二人共が高校生のころから好きだったバンドの曲を車内で口ずさんでいる時に、ドラマみたいだなって思った。二十歳の私はこの世の終わりみたいに絶望していて、心が引きちぎられるぐらい悲しかった。8年後にこんな日が来るだなんて思ってもみなかった。

本当に幸せな瞬間だった。

 

今回会ってみて、かつての私が相手のことを好きだった理由がわかった。あの頃の気持ちは執着だったんじゃないか、とか、恋に恋してたのか、とか、この数年思っていたけれど、確かに自分は相手のことを好きだった。人を好きになるってこんな気持ちなんだ。

彼の素直な言葉が好きだった。見栄とか、斜に構えるとか、「こう言っておけば良いだろう」みたいな無駄な言葉がなくて、丁寧に自分の気持ちを言葉にするところ。声に抑揚がなくいつもトーンが一定なんだけれど、その分感情を伝える言葉を丁寧に発する。そしてあまりにも素直に投げる。その言葉はキラキラと光っていて、とても尊いと思った。

対して私は、相手の反応を気にしたコミュニケーションをとる。相手に面白がってもらえるようにうまいこと話そうとする。

例えると、相手が発する言葉はシンプルな皿に和菓子が一つ乗っている感じ。私が発する言葉は「訳あり品!」「お買い得!」みたいな脚色のPOPをたくさんつけたお菓子。自分が発した言葉があまりにもお粗末で申し訳なくなる。
自分の言葉で正確に話す彼のことが眩しくて、自分のことが少し嫌になる。私は彼の前でつまらない人間になってしまう。

ただ、それでも昔よりは頑張って、自分の言葉で話そうとした。その瞬間だけ私の言葉も光っていた。それが彼に届いていたなら嬉しい。出来るだけ今日という日が彼の記憶に残るように、今後私のことを思い出す瞬間があるように願っている。

 

簡単には会えないし、好きになる分だけ自分のことを嫌いになってしまうような相手だ。相手を見つめる、その向こうの鏡に映る自分のことが嫌になるような。相手は私のことをどう思っているのかわからないけれど、きっと心は許してくれているのかなと思った。
今回相手と会って、この人に100回会ったら100回好きになって、100回気が狂うだろうと気がついてしまった。
もう二度と自我を失いたくないし、この数年間必死で取り返してきた自分を崩したくない。大事に育ててきた自我でも、相手の前ではあっけなく壊れることを知った。
きっと後一日長く一緒にいたら、二十歳の頃と同じようにのめり込んでいると思う。それぐらい強く惹かれてしまう人だった。だからセーブする。自分からLINEを終わらせて、連絡を取らない。この数年で経験だけは積んできたから、それがとても役に立っている。

ただただ、人を好きになるという気持ちを本当に久しぶりに思い出した日だった。
あの日初めて好きになったような気分。きっとあの日が初対面だったとしても、相手のことを好きになってたと思う。
相変わらず私の日常に相手はおらず、彼の日常に私は居ない。ただ、数年後にまた会おうって冗談で話した。また会えるということがとても嬉しくて、この数年間の絶望がチャラになった。

 

私はもう二度と自分を見失いたくないし、気が狂いたくないから、相手のことを追いかけようという気持ちはない。ただ今日は、相手が車内で流していた曲を探して聴いている。心に響いたと言っていた曲は、怖くて聴いていない。


ゆっくりと日常に戻っていく。夢の世界から早く戻りたい。
何度もあの日の会話を思い出しながら撫でている。あんまり思い出しすぎると夢か妄想に変わってしまいそうで怖い。次に会う時は、私の好きな曲の話を正直に話すから聞いて欲しい。結ばれなくても構わないけれど、人生に”あの人とまた会える”という希望があるだけで生きていけるもんだと思った。
8年間ずっと引っかかってたものが、一つほどけた日だった。
本当に、キラキラと光る1日だった。